白鴻 盛川酒造
広島県呉市の山間部、安浦町に明治20年(1887年)創業の盛川酒造「白鴻・はくこう」がある。野呂川沿いの、田畑に囲まれた悠久の年月を経た佇まいは、この地域の歴史とともに、変わらぬ上質な酒を代々造ってきたことを物語っている。
現在の当主は、7代目。
以前から先代からは家業を継ぐことを考えず、自分のやりたい職に就くよう言われてきたので当時は東京でサラリーマン生活を送っていた。しかし28歳の時先代が急死。
その時、自分の夢と向き合うこととなる。家計のことも問題ではあったが、以前から日本の文化を海外に伝えていきたいと思っていたことと、家業を継いで自社で醸造した日本酒を海外に伝えていくことが一致することに気付いた。
平成元年、まだ、日本酒が世界で認知されていない時代である。
しかし、いざ輸出をしたいと思っても、小さな蔵元が独自に輸出をする前例は皆無ですぐに実現することはできなかった。
チャンスは平成20年になって訪れた。国内で試飲会をしているときに偶然、台湾のホテルに輸出しないかという話をもらった。
日本文化を海外に広めるという、夢の決意から、20年。
工夫を凝らした、ブルーの瓶、伝統を引き継がれた、白鴻の味。初の輸出を実現させた。
ここまで来るのにも、家業を引き継いで、自身の考える酒のブランディングを行ってきた。
異業種から家業を継いだ当初は、何をするにも試行錯誤で多くの壁にぶつかってきた。
周りの多くの人達に助けてもらいながら、様々な助言や協力を頂き少しずつファンを増やしながら地元の酒販店、百貨店との取引が増えていった。
当主が考えるアイデアは、ご自身が言うには、少し時代より早く、苦労することが多かった様だ。海外で日本酒を販売する場合、日本酒の知識を正確に伝えることが必須となる。
確かに、日本人自身も、日本酒や日本文化が身近過ぎて、価値あるものと、考える機会が少ないかもしれない。
日本文化を伝えたいと志す当主が、自身の考える手法で、世界を日本酒に魅了される人たちで溢れさせる日が近いと、確信する
私の「夢」「希望」
代表取締役 盛川 知則
日本酒の人口が減っているし、弊社のお酒の美味しさを、まだ、伝えきれていないと思っています。
もっと知ってもらい。
特に、私の子供たちの世代は、日本酒を知らない人が多い。
後世に、弊社の酒を継承してくためにも、若い世代と知恵を出し合いながら、興味を持ってもらう様に、努力をし続けていきたいと考えています。